正覚寺の沿革


 当山は、大音山響流院正覚寺といい、知恩院を総本山とする浄土宗の寺院である。7世紀頃、法道仙人が、小野村奥戸山に開基したと伝えられ、その後、鎌倉時代に念仏の行者慈心房尊恵上人が、この寺の頽廃を嘆いて苦心再興し正覚山正福寺を建立したと言われる。

 戦国時代末期、織田信長の中国攻めの軍勢により焼失しその後、天正11年(1583)に超譽上人が、時の領主山崎堅家の帰依により三田城下づくりの時に大音山正覚寺として創建し、代々領主の菩提寺として中本山の資格を維持した。

 江戸時代末嘉永7年(1854)時宗総本山清浄光寺の高僧陀阿一念上人が遊行の際5日間にわたって授戒法要が行われた。

 

有馬郡西国観音霊場第二十番札所

 

たのめただ あわれをかけて 世のひとの

みの苦しみに かわるちかいを

 

開山法道仙人(開基年不詳)

 

創建勝蓮社超譽上人益雄大和尚

山門(鐘楼門)
山門(鐘楼門)